謎の石堂
 石堂
 岡益の南西の丘に、凝灰岩で作られた精巧な石堂物がある。地元では何時の時代に誰が何のために作ったか わからないところから、謎の石堂(いしんどう)と呼んでいる。 均整の整った石堂物全体は半円の中にそのまま納まるもので、その寸尺は古代唐尺によるといわれている。 石堂の構築は、高さ一メートルの基壇の上に、厚さ四十センチの一枚岩で出来た壁石で側面を囲み、 中央に高さ二メートル近い円柱をたて、その上にマス形の石をのせ、さらに塔の笠石等を積み重ねている。
問題は、胴にふくらみをもったエンタシスの柱と、その上マス形石の裏面に刻まれた忍冬唐草紋様である。 このような石造物は、日本で他に類例がなく木造物で日本最古の建築物である大和の法隆寺の建築が、 このエンタシス柱様式により作られている。忍冬唐草紋様もやはり法隆寺の壁画の中に描かれている。 この外には、北朝鮮にある双楹塚(そうえいづか)古墳がこの岡益石堂と全く同じ形態で作られており、 ついで中国大同にある石穹内に同形の紋様が刻まれている等の事例がある。
忍冬唐草紋様
エンタシス柱

なお、これらのルーツの源を尋ねると 西暦前栄えたギリシャの宮殿がエンタシス様式の柱で建築され、忍冬唐草紋様が刻まれていることが知られている。 シルクロードを経て中国大同に根跡を残し、さらに東進、朝鮮半島双楹塚に、そして日本海を渡り、一番近い山陰、国府町 岡益の石堂にこれを伝えたものと思われる。 現在山陰は裏日本と称しているが、古代は表日本ではなかったか。渡海の困難な時代のこと、潮時を利用すれば、 簡単に渡航できるこの山陰に大陸文化が最初に伝わったであろうことは容易に考えられる。 それを立証することができる貴重な遺跡がこの石堂ではなかろうか。

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