国庁跡
 宮ノ下小学校前を千古の歴史を瀬音にのせて国府川が流れている。
その国府川を渡り、中郷部落を通り抜けると広い田園地帯が開けてくる。この一帯が奈良、平安、鎌倉 の各時代を通し政治、経済、文化の中心として多くの建物のあった因幡国府の境域である。
 盛土と植樹によって装いをととのえ、御影石で表示した7000uの敷地である。
昭和52年僅か20数aの地下から柱根を残した建物遺構が発見され、国庁の中心建物であることが確認された。
その主な遺構は整然と並んだ掘立柱建物跡(地面に穴を掘って柱を立てた建物跡)があって、その建物は10棟あまり見つかっています。
その中に庇(ひさし)つきの大きな建物がありますが、それは国司(国庁に勤める役人)が政治をしていた正殿跡と思われます。
その正殿の後ろに国守(国長の長官)が仕事をする後殿がありました。

それらの建物は、柱の太さも直径30センチメートル以上もある立派なもので、建物の周囲には柵や溝があり、 井戸、広場や南門もあり、さらにこれらの建物を中心にして、 囲むように幅6メートルばかりの溝と石積みの石塁、石敷の遺構がありました。
 また「仁和(にんな)2年假文(けぶん)」と墨で書かれた題箋、等も出土しています。
仁和2年(886年)は、平安時代中ごろです。鎌倉時代の初め頃ごろに建てられたと思われる門の跡も ありました。このようなことから因幡国庁跡は鎌倉時代のはじめごろまで国の政治が行われていたことが分かります。
 この国庁跡は昭和53年に国の史跡に指定されました。

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